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アスリート応援

【スポーツ応援への取り組み】

私たちは、誰もが自分らしく輝ける社会の実現を目指し、車いすバスケットボールの活動を応援しています。藤本怜央選手をアンバサダーに迎え、鳥取県車いすバスケットボール協会とスポンサー契約を締結。スポーツの力を信じ、共生社会の実現に向けて歩み続けます。

【車いすバスケットボールとは?】

車いすバスケットボールは1チーム5人制で、通常のバスケと同様のコート・バスケット・得点(1点/2点/3点)を使い、10×4ピリオドで行われます。選手には障がいの程度に応じた「持ち点」が1.04.5まで設定され、コート上の5人の合計は14.0を超えてはいけません。移動中のトラベリングやダブルドリブルなどのルールは、一部通常のバスケットボールと異なります。

【藤本怜央選手プロフィール】

長年にわたり日本車いすバスケットボール界を牽引する、日本代表の大黒柱。
パラリンピックには2004年アテネ大会から、2020年東京大会まで5大会連続出場。
2016年リオデジャネイロ大会では代表キャプテンを務め、2020年東京大会ではチームの支柱として銀メダル獲得に貢献。ドイツのブンデスリーグで活躍、スペインのリーガACBでは欧州チャンピオンズカップ制覇を経験、現在は韓国リーグのChuncheonTigers(春川タイガース)に所属。


現役で挑み続ける「車いすバスケ」のレジェンド――藤本怜央

45歳で6度目のパラリンピックへ

藤本怜央選手がコートに現れると、その場の空気が一変。身長183cm、車いすに座ってもなお圧倒的な存在感。その大きな手のひらから繰り出されるボールさばきが、観客を釘付けにします。
パラリンピックに5大会連続出場し、2020年東京大会では、日本男子車いすバスケ史上初となる銀メダルを獲得。競技歴20年以上を経て、40歳を超えた今もなお世界の舞台で戦い続ける姿は、多くの人に勇気を与えています。
しかし、華やかな舞台の裏には、絶え間ない努力と挑戦がありました。

今回はマリンナノファイバーのアンバサダーに就任した藤本怜央選手に、競技人生の転機や気づき、日々のセルフケアの工夫、2028年ロサンゼルス大会への意気込みをうかがいました。

●力強さ×繊細さ。車いすバスケの奥深さにはまって

――車いすバスケを始めたきっかけについて教えてください。

小さい頃からスポーツが好きで、ずっとサッカーをやっていました。小学3年生のときに交通事故で右足を膝下10cm残して切断しましたが、しばらくは義足でサッカーを続けていました。でも、走るのも蹴るのもやはり難しかったんです。
そんなとき、長年バスケットボールをやっていた両親の勧めでバスケを始めました。小・中・高とプレーを続けるうちに、すっかり夢中になっていましたね。
車いすバスケを初めて知ったのは高校3年のときです。仙台市のチーム「宮城MAX」の試合を見て、そのスピード感や迫力に「かっこいいな」と衝撃を受けました。大学進学で仙台に移ったことをきっかけに、「宮城MAX」に入り、車いすバスケ一筋の競技人生が始まりました。

――車いすに座ってバスケをやることになったのですね。競技変更は大変ではなかったですか?

最初の1年は車いすの操作に苦労しましたが、できないことを克服したときの達成感に、楽しさも感じていました。通常のバスケよりも低い目線から、同じ高さのリングにシュートが決まる快感は大きかったですね。

――競技の魅力は、どんなところにあると思われますか?

車いす操作のテクニックの追求しがいや、チームメンバーとのコミュニケーションに特に魅力があります。力強さだけでなく、繊細さや華麗さも全て兼ね備えるのが車いすバスケです。例えばシュートを打ってゴールを決めるのには華やかさがありますが、その裏には緻密な連携や駆け引きがあり、そこが醍醐味だと思うんです。知れば知るほど繊細さが問われるスポーツですし、お互いのプレーをマッチさせるために、自分の技術を磨いて努力するところにも魅力があります。僕にとって、探究と成長を続けていくことができる特別なスポーツです。

提供:(株)つなひろワールド

 

●東京大会で“銀”の悔しさが、挑戦へと駆り立てる

――20年以上の競技人生の中で、一番印象深い試合は?

やはり、2020年東京パラリンピックの決勝です。2004年に初めてのパラリンピック・アテネ大会に出たころから、ずっと思い描いていた舞台でした。
もしあそこで金メダルを取っていたら、その時点で引退していたと思います。最後、勝てなかった悔しさが今の自分を奮い立たせ、競技を続ける原動力になっています。

――2014年からは海外のクラブチームでのプレーにも挑戦されています。

2014年は、日本代表のキャプテンを務めていましたが、日本はアジアでも勝てない状況が続いていました。
韓国のエースが海外で武者修行して、見違えるように成長して帰ってきたのを見て、エースが世界基準になることの大切さを実感しました。
それが、自分の技術を高め、世界と日本の架け橋になろうと海外挑戦を決意したきっかけの一つです。
最初に所属したのは、ドイツ・ブンデスリーガのBGハンブルクでした。そこから自分と世界のレベルのギャップを少しずつ埋めていくという作業を始めました。

●日本と海外、競技環境の大きな差

――日本と海外では、どのようなプレー環境の違いがありますか?

日本にはプロリーグがなく、年に1~2回、大きなトーナメント戦がある程度です。試合で実践を積む機会が殆どないため、選手は伸び悩む傾向があるんです。
一方、プロリーグがある海外は、9月から翌年5月頃まで毎週末試合があります。そのなかで、シーズンを通して戦う経験やメンタルの強化など、試合感覚を鍛えることができます。

――実際に海外への挑戦してみて、どんな気づきがありましたか?

それまでは体格差で押される試合も多かったですが、スピードやタイミング、駆け引きで、その差を埋めれば、日本も十分に戦えると気づきました。
またシュート力の底上げも重要だと気づきました。その頃、日本チームには得点源となる選手が1人か2人でしたが、海外には3~4人いたんです。障害のクラスに関係なく、選手全体のシュート精度を上げられれば、日本はもっと強くなれると感じました。

提供:(株)つなひろワールド

 

――現在も海外リーグで活躍されています。

海外での豊富な試合経験は、他国開催の大会でも動じず、重要な局面に対応する力を養います。日本にもこうした経験を持つ選手が増えれば、代表チームはさらに強くなるでしょう。来シーズンからは、日本の若手選手も5~6人が海外リーグに挑戦する予定です。

ただし、車いすバスケはサッカーや野球のようなメジャースポーツではないので、契約から家探しまで、すべて自分で行う必要がありますし、語学も必要です。僕は中学レベルの英語力で飛び込みましたが、10年間何とかやってきました。挑戦は簡単ではありませんが、チームのためだけでなく、若手自身のキャリアにも大きなプラスになるはずです。

●40代でも第一線。現役で挑戦するレジェンド目指す

――トップ選手として走り続けるために、日々どのようなトレーニングをされていますか?

シーズン中は、平日毎日1~2時間の筋トレと、2時間のチーム練習があります。土曜日は試合、日曜日だけがオフという生活です。それとは別に、毎日自主トレーニングもします。朝は、愛犬の鈴(りん)と朝5時半から1時間半ほど散歩し、その後9時半ごろから2時間ほどかけて筋トレします。
一見、車いすバスケは上半身だけを使う競技に見えますが、実は車いすを操作するためには下半身の強化が欠かせません。そのため僕のトレーニングは基本的に下半身強化が軸になります。

 

 

――年齢を重ねて特に意識していることはありますか?

昔は体育館に行って、すぐにプレーできましたが、今はそんなことをすると体が壊れてしまいます。今は、車いすに乗ったときに一番良い状態でプレーできるように、必ず準備運動する時間を取ることを徹底しています。年齢を重ねるほど、この準備時間はどんどん長くなっています。試合の日は、前日から計画を立てて過ごします。良質な睡眠をとり、朝の食事から試合までの過ごし方も細かくコントロールします。
40代になって第一線で結果を出すには、運動前の準備が特に重要だと感じていますし、今はそこに自分のポテンシャルを感じています。

――食生活やコンディショニングの工夫はどのように?

2016年リオデジャネイロ大会のとき、肘を大きく怪我して手術が必要になりました。その際、「競技人生を長く続けたいなら、まずは食生活からすべて見直すべきだ」とアドバイスを受けたんです。
それまでの僕は、とりあえずお腹を満たせばいいというタイプで、食生活にはあまり気を配っていませんでした。そんな頃に妻が栄養士の資格を取り、勉強してくれたんです。2018年からは一緒に海外へ渡り、食事管理をサポートしてもらえるようになりました。
今は、トレーナーの先生からのアドバイスを受けつつ、妻が毎日の食事をしっかり管理してくれています。彼女がサポートしてくれるようになってから、大きな怪我もなくなり、風邪や体調不良も一切なし。競技に集中できるのは妻のおかげです。本当に感謝しかありません。
練習方法や食事、睡眠も含めて、良さそうだと思ったものはまず試して、うまくいったら取り入れる。その方法は常にアップデートしています。年齢を重ねても第一線でどこまでやれるのか、車いすバスケ界の第一人者として挑戦し続けたいですね。

 

●愛犬と触れ合い、コーヒーを入れる時間で心を整える

――アスリートとして日々、プレッシャーも多いと思います。心の疲労を感じたときの対処法は?

「今日は練習を休みたいな」と思う日も、もちろんあります。でも、2019年に愛犬の鈴(りん)が家族になってからは、そんな気持ちになることは殆どなくなりました。鈴と過ごす時間が、何よりもリフレッシュになっています。
僕は放っておくとバスケのことばかり考えてしまうタイプなんですが、脳を休めるには別の集中力が必要だとアドバイスをもらったことがあります。そこで見つけたのが、コーヒーをハンドドリップする時間。何も考えずにお湯を注ぎ、香りを楽しむ「無の時間」が良いリラックスになっています。

●手のひらを酷使するスポーツ。大切な手のケア

――車いすバスケは手を酷使するスポーツだと聞きました。

競技用の車いすにはブレーキがありません。試合中はゴムのタイヤを直接手でつかんで減速したり急停止したりするので、摩擦で手のひらに大きな負担がかかるんです。その結果、擦れて皮膚が赤くなったり、靴擦れや火傷のような症状が現れます。冬場は摩擦で皮膚が硬くなった部分がひび割れ、あかぎれのような症状も出ます。
練習や試合が毎日のようにあるため、皮膚の回復が追いつかず炎症が長引くこともあり、ケアの難しさを感じています。
これは車いすバスケだけでなく、他の車いす競技も同じかもしれません。多くの選手が皮膚科を受診したり、さまざまな保湿アイテムを試したりしていますが、プレー中にクリームなどを使うと手やタイヤが滑りやすくなることもあり、ケアの難しさに悩む選手が多いです。

 

――マリンナノファイバーの「ハンドジェルη」を使ってみた感想を教えてください。

「ハンドジェルη」を持ち歩いて日常的に使っています。塗ったあともべたつかず、プレー中も滑りにくいので違和感なくボールも扱えます。特に、冬の乾燥時期には皮膚が固くなりがちですので日ごろのケアアイテムとして重宝しています。チームメートにも薦め、使ってもらったところ、僕と同じように気に入って使っているようです。

――愛犬の鈴ちゃんに動物病院専売品「カイトベール ダーマケア」をお使いいただいているようですが、どのように使っていますか。

特に夏場の散歩は、アスファルトが熱いので、鈴の肉球は荒れがちです。でも、散歩帰りに足を拭き、肉球に「カイトベール ダーマケア」を塗ってあげるだけで機嫌よく過ごせているようです。散歩後のケアアイテムとして重宝しています。

 

 

●45歳で、6度目のパラへ。挑戦は終わらない

――2028年8月に開催されるロサンゼルス大会に向けて、意気込みをぜひ教えてください。

パリ大会では予選敗退という悔しい結果に終わったので、もう一度世界の舞台に戻ることが今年の一番の目標です。
来年はカナダ・オタワで世界選手権が開催されますが、その出場権を得るためのアジア・オセアニア予選が11月に控えています。まずはこの予選で2位以内に入り、本戦出場権を獲得したい。そして来年の世界選手権ではトップ5入りを果たし、日本の力を示したいと思っています。
その先にある目標はもちろん、ロサンゼルス大会でのメダル獲得です。

――藤本選手自身の目標は?

もちろん、ロサンゼルス大会には、最高のコンディションで選手として出場したいです。
2004年のアテネ大会以来、これが6回目のパラリンピック出場になります。その頃には45歳。日本人として日本男子車いすバスケの最年長出場・最多出場回数の記録更新も目指しています。そして、そこにメダルを添えられたら最高です。
ぜひ応援、よろしくお願いします!

 

 

(取材・執筆/柳澤聖子)


【謝辞】

 本インタビューのために、代表チームのヨーロッパ遠征の帰路にそのまま駆けつけてくれた藤本怜央選手の柔軟性と責任感に、そして聞いている者だけでなく読み手にまで響く熱いメッセージに、感謝と共に弊社の試みに安心感をいただきました。弊社スポーツ連携プロジェクトによる第一回の外部発信記事にあたり、サイエンスからアスリートまで、また大人向けだけでなく子ども向けや親子で気付きや刺激を受ける執筆などで経験豊富な柳澤聖子様に、ご経験からの的確なご助言をいただき実施できました。また、会場として使わせていただいた吉田記念研修テニスセンター様やアスリート支援に関わる御関係者の方々に、本記事の作成にあたりご助言やご協力をいただきました。
 皆様のご厚意に心より御礼申し上げます。